なんとなく

私は高校卒業後親元を離れ、京都の大学に通いました。自分の好きなもの、興味のあるものに対してこれでもかと時間を使い、最高に充実した4年間だったとしみじみ思います。
当時18歳の芥川少年は、それまで過ごした田舎とはまるで違う環境に胸を躍らせました。京都の好きなところはここに書ききれないぐらいたくさんあります。程よく栄えており自転車でどこへでも行けること、フラっと路地裏に入ると美味しい居酒屋さんをすぐ見つけられること、碁盤の目状の道路は遮蔽物がなくずっと遠くまで見渡せること、などです。
今となってはこんな風に言語化できますが、進学した当時の自分は「なんで京都に?」と聞かれても「なんとなく」と返していました。そもそも本当に「なんとなく」だったような気もします。別に寺社仏閣が特別好きだったわけでもなく、関西弁を浴びてみたかったわけでもなく。「地元よりは都会がいいけど、東京や大阪はちょっと都会すぎるかもな」という程度にしか考えていませんでした。
しかしその「なんとなく」を信じて良かったなと思います。当時言語化ができていなかった自分の心の奥深くの価値観や考えに、京都という土地が(たまたまかもしれませんが)すごく合っていたのです。
人の転機にかかわるこの仕事をさせていただく上で、価値観の言語化は非常に重要だと痛感します。一方で、簡単には言語化ができないような感覚、「なんとなく」違和感がある、「なんとなく」いいかもしれない、といった微妙なニュアンスも同じように大切なのではと考えました。