私の30代
株式会社リビングプラットフォーム
金子 洋文氏

SPECIAL INTERVIEW #02
株式会社リビングプラットフォーム

代表取締役
金子 洋文

かねこ ひろふみ/2000 年に慶応義塾大学総合政策学部卒業(マクロ計量経済学専攻、竹中平蔵教授に師事)後、アンダーセンコンサルティング入社。2001 年 11 月に三菱商事のヘルスケア戦略子会社で医療・介護の経営支援を行うライフタイムパートナーズに入社。多くの経営支援と投融資を手掛ける。
2011 年 6 月に株式会社リビングプラットフォームを設立。
2020 年 3 月に東京証券取引所マザーズに上場。

今回の『私の30代』では、2011年に32歳で起業、2020年にマザーズ上場を果たし、現在では全国で100を超える介護、障がい者支援、保育施設を運営する金子洋文氏をお招きしました。大都市圏を中心に各施設をドミナント展開し、効率経営を実践しながら、介護・福祉業界だけでなく、日本全体の変革に向けて邁進する金子氏が、30代でどのような考えと行動をしてきたのか、また、経営者に必要な能力やマインドについて語っていただきました。

自社だけでなく業界や日本での役割も意識

-現職における金子社長の重要な役割や仕事についてお聞かせください。

自社におけるもの、業界におけるもの、日本におけるもの、それぞれのレイヤーでの役割を意識しています。自社においての私の役割は、今後もますます事業を成長させて、魅力的な会社を作っていくことだと思っています。投資家、従業員、お客様にとって、いろいろな意味で魅力的でそして夢のある会社にしていきたいですね。

業界においては、志をもった優秀な人材が介護・福祉業界に集まるようにすることだと思っています。特に他業界を経験し選択肢を持った優秀な人材が、意思を持って介護・福祉の業界に参画し、会社をつくり、そして大きくしていくことで業界のスタンダードを変えていきたいですね。優秀な人材が増えないと業界は変わらない。我々の会社が他業界から来た人材とともに大きくなることで、さらなる選択肢と意思を持った優秀な人材がこの業界に増えるといいなと思っています。

最後に日本におけるレイヤーでの役割について、この業界は助成金・補助金があって成り立つ業界とも言えますが、それでも効率性を意識し、できるだけ助成金・補助金に依存しない、かつ透明性の高い業界になってほしいと思っています。そして高齢化社会における課題先進国でもある日本が先行事例を輸出し、その延長線上で、中国・韓国、そして東南アジアなどの今後同様の課題を抱えるであろう海外で成長・展開できている会社の1つになることができれば、私のキャリアとしては非常に有意義ではないかと思います。

-今の仕事の面白みは何になりますか?

株式の保有状況もあり、私に一定の決定権があるということですね。人生には能力のピークというものがありますが、経営に関する決定権がある今の状況は、判断力を高めて、さらにそのピークをより高くより長くすることができる状態と言えます。その分、大変なこともありますが、私にとってはやりがいになっていますし、面白みでもあります。

当社が社会インフラを作るという業界にあること、そして業界がまだ制度もプレイヤーも流動的な中で当社がこのポジションにいて、私が経営者として判断できる今の立場にいるということは、長年の努力がようやく結実したという感慨深さもあるほどです。

私は、短期的に努力して達成することよりも、10年単位で計画してそれが結実したときのような長期スパンでの達成のほうが満足度は高いタイプです。

例えば、起業する前にGoogleカレンダーに上場目標日を入れておいたのですが、誤差1年くらいで上場を果たしました。考えて考えて先を見据えて、紆余曲折はあれども一定の範囲で実現できたということは私にとって極めて心地がいいことでした。上場はひとつの例ですが、同じように20~30代で努力をした結果、長い時間を経て今の決定権ある立場で仕事ができていると思っています。

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30代は収穫の時期

-30代において、今のキャリアを築く上で特に影響を受けたこと、転機になったことは何でしょうか?

30代で最も大きな出来事はやはり起業ですが、10歳から必死に勉強して、20代は人の2倍働いたので、30代は私にとって収穫の時期でもありました。28歳までに会社法や税法などM&Aや他経営に必要な知識を習得し、その後の28歳から起業した32歳までの4年間は経験とネットワークを築くために費やしましたが、それが今にも活きています。

転機ということにおいては、起業した2011年には高齢者住まい法(正式名:高齢者の居住の安定確保に関する法律)の改正もありましたが、私はこの法改正が絶対に大きなインパクトになると確信していました。

改正により建築費の一部が補助金として出るようになり、雨後の筍のように施設が建設される一方で、一定割合は存続できなくなる。幸い、私は学んだ様々な知識をもとに、M&Aや事業再生、不動産ファイナンスに強みを持っていたので、一定規模のプラットフォームがあれば買収することで一気に成長できると思っていました。

当社はこれまで21回買収をしていますが、その時の確信が実現した結果です。その観点で言えば、20代で学んでいた知識、起業、そして法改正がつながった2011年が最大の転機でしたね。

-28歳から32歳の4年間は具体的には何をされていたのですか?

前職のライフタイムパートナーズに所属していましたが、ある程度の自由度の中で業務を行うことができました。投融資業務に伴い、いろいろな地域を回って地方銀行様との提携をまとめあげるということもやっていたのですが、今当社が取引のある銀行はほとんど前職からのお付き合いです。

また、いろいろな事業モデル、業界のモデルも学んでいました。起業するときには、集めた情報をもとに、会社のフェーズに合わせた5段階の組織図を書きました。大きくなった会社もコンプライアンスの問題で一瞬にしてつぶれるので、当社はコンプライアンス管理をとても強化しているのですが、それもこの4年間で考えていたことです。

-30代前後で影響を受けた人、印象的な出会いはありますか?

たくさんの方に出会っているのでいちばんと言われると難しいですが、大きな影響を受けた中の1人を挙げるなら慶応義塾大学の名誉教授で経済学者の島田晴雄先生でしょうか。先生は現在81歳なのですが、毎年ゴルフもスキーも上手くなっており、常に好奇心旺盛で日々を充実させている姿が印象的です。

今でも月1回勉強会に出ていたり、一緒に10か国ほど旅に行ったりという交友がありますが、先生は複合的な知識を持っているだけでなく、時折見せる子供のような純粋な一面もとてもチャーミングです。驚異的なバイタリティに刺激を受けていて、常に好奇心を忘れずにいたいというのは彼から学んだことですね。

他にも30代では経営者として成功するための貴重な教訓を学びました。先輩経営者から学んだことの中には、単なる楽観性ではなく、精緻な楽観性の重要性を理解することが挙げられます。一部の経営者は、瞬発力による自信から、将来のタービュランスに対処する先見性を欠いていると感じました。

経営において楽観性は重要だと思いますが、精緻な楽観性と単なる楽観性は異なります。経営はいくらでもタービュランスがあるものですが、予見できることは対処したほうがいいと私は思います。

それから、経営において、陽のエネルギーで人を導くことが重要であるという教訓を得たこともありました。時には陰的な手法で人を操ろうとする経営者もいますが、私はそのようなやり方に共感できませんでした。

人を疑ってコントロールしようとするから、裏切られてまた疑うという循環になっているのだと思っています。やはり明るく、相手の幸せを心から願うことはとても重要だと思います。人はポジティブなほうが面白いし、類は友を呼ぶので明るくしていると明るい人が寄ってくるし、そのほうが人生楽しいですよね。

-何事も計画的に進めてこられた印象ですが30代でやり残したことはありますか?

そうですね‥色々と考えてみたのですが、それは特にないですね。何十年も前から全力でやってきたので、もう二度と昔には戻りたくないです(笑)。

過去に戻れるならいつに戻りたいかという質問もよくありますが、そう聞かれても戻りたくないと答えます。同じ努力はもう二度とできないと思えるくらいやってきたつもりですから。うまくいかなかったこと、それももちろんたくさんありましたが、あのときやっておけばということはないですね。そしてこれからもそうありたいと思っています。

-30代のとき、仕事以外の面で心がけていたことはありますか?

一番は健康です。私の20代は働きすぎでして、働いて、働いて体が動かなくなったら休むようにしていたほどでした。ご飯もほとんど食べない。家に帰ったら勉強していたので食べる時間もなく、追い込まれていたので食べる気力もありませんでした。それは持続可能ではないので、起業してからは特に運動や食事には気を付けようとしてきました。

私は中学生の頃から武道を始め、剣道・柔道・極真空手を合わせて25年以上やっていますが、武道のように体を動かした結果、それがトレーニングになると一番いいのではないでしょうか。

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自分の可能性を限定しないこと

-経営者になるために重要なことは何だと思われますか?

複合要因だと思いますが、これもメンタル含めた健康がナンバーワンではないでしょうか。その上で、判断力、先見性、実行力、知識、人脈、人柄、これら多くの能力や要素が必要になってくると思います。

チーム作りがうまければ、その1つの能力だけで成功するかもしれませんが、チーム作りは水物なのでいい人と出会えるかという運もありますし、時間もかかります。チームプレイが大事というのは真実だと思いますが、私はできる限り自分自身で能力を多角的に持っていたほうがいいと思っています。誰かが抜けたときにカバーできますからね。自分の可能性を限定しないで、できる限り自分の能力を多角的に上げたほうがいいと思います。

-多角的に能力を上げるのに必要なことは何ですか?

努力でしょうね。そんなに努力なんてできないよと言う人もいますが、私がこの5年10年でいろいろな優秀な方に会ってきて思うのは、標準が違うということです。彼らにとっての努力の標準は一般人には不可能と思えるレベルなのです。自分が不可能だと思ったとしてもそれを疑って、その分野の第一人者と言われる人に会ったらいいと思います。どれだけの努力をしているか。

時間の制限はみんなありますが、それでも第一人者と言われる人たちはやるのです。もし経営者になりたいのであれば自分の可能性を限定しないで、自分の常識をもう一度疑って、全力を尽くして努力したら、経営者に必要な能力が得られると思うので、まずは意識改革が重要だと思います。

あと付け加えるのであればイメージ能力ですかね。ソフトバンクの孫さんがタイムマシンで未来を見てきたかのように語れる必要があると仰っていますが、それはイメージ能力がとても重要だからです。経営者になりたいのだったら、「経営者になりたい」だけではなくて、どのタイミングでどういう方法でどんな経営者になるか、そこまでをシミュレーションできるくらいのイメージ能力を持つこと、それが経営者になるために重要な要素になるかもしれません。

-それでは、経営者に向いている人とはどのような人と思われますか?

今までの話をまとめると、先見性があり、明るく、健康的で、多角的な能力を得るために努力ができる人がいいということになります。あとはこういう人に経営者になってほしいという意味では、善なる心を持った人ですね。

Googleの企業行動規範に「Don’t be evil」というものがありますが、個人的にとても好きな言葉です。善と悪には様々な価値観があると思いますが、少なくとも自らの善悪の価値観に反しない人が経営者になったほうが社員は幸せだと思うので、そういう人に経営者になってほしいですね。

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アジア最大級の企業と双璧に

-貴社は今後どういう方向に進んでいきますか?

第一段階としては、国内で最も売上の大きい会社になり、効率性を重視した持続性のある姿を発信していきたいです。そして、最終的には海外へのインフラの輸出や、その先の海外でのビジネス展開へと繋げていきたいです。

上場したときのステークホルダーへの手紙に書いたのですが、アジアの複数の国で展開しているIHH(IHH Healthcare Berhad)と双璧と言われたら満足するでしょうか。この目標にはあと20年はかかると思いますが、後半の10年くらいは併走的に農業もやりたいので、この10年で国内トップと海外数か国の基盤を築き上げ、その後は実行的な面での社長業務は誰かに任せられれば理想的と考えています。

-経営人材を目指す方が貴社で経験できることは何がありますか?

前述の話にもつながりますが、10年以内に後任となる社長を育て上げたいと思っていて、その人材には直接指導を毎日のように行います。優秀であれば2~3年で技術的なスキルは学ぶことができるでしょう。その後は価値観を共有するために2~3年、後半は主体性を持たせ、私はサポートに回り、結果の責任を自分で持ってもらう。このプロセスで10年以内に社長を任せられるようになると思います。候補者となる数人の人材の中から優秀な経営者が育ってほしいと思っています。

-貴社の人材が他の会社へ転職して経営人材になることはどう思いますか?

前向きな転職ならばいいと思います。私は自身の周囲にいる人たちが幸せになることを願っています。実際、今年も十数年勤めた人が他社の社長になることを笑顔で送り出しましたしね。優秀でパッションもある人を3年鍛えれば起業もできるでしょうし、大企業のミッドキャリアに進むこともできます。私は今やそれなりのネットワークもあるので、行きたいところに推薦することも可能ですよ。

-最後に、読者にメッセージをお願いします。

キャリア、人生が終わるときに満足できていたらいいと思います。過去は変えられないので、日々全力で後悔のない今を送ってください。また、自分の可能性を限定せず、努力と挑戦を続けることで、経営者としての道が開けるかもしれません。そして、周囲の人たちが幸せになれる未来を共に築いていけることを願っています。

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記:原田 雅志 フォト:長田 慶