メディア掲載
株式会社ネットエイジ 西川潔
「敷かれたレール」を壊した二〇代
上田 今回登場いただいたネットエイジグループの西川潔社長は、インキュベーション(ビジネスの立ち上げ)やベンチャー企業のサポートを行うユニークな会社を経営しています。同時にベンチャー起業家のネットワークの中心にいます。こうした人の集う場を会社の内と外でなぜ作れたのか。人活術を学びたいと思います。
西川 僕は起業家になると思っていなかったんですよ。
上田 へぇ。起業に情熱をかけている今の姿を見ると意外ですね。
西川 大字時代は悩みなき青春を送りました。「なんとなくクリスタル世代」と言われ、テニスサークルに入ってお気楽なキャンパスライフをチャラチャラと楽しんでいて、就職の時期になって「国際的な仕事がいいかな」という単純な発想で、KDD(現KDDl)という国際通信の会社に入りました。就職してから「職業って何?」と、悩んだのです。
上田 悩むきっかけはあったのですか。
西川 当時のKDDは半官半民でぬるま湯。楽すぎてつまらない。ロマンチックな幻想かもしれませんが、「燃えつきたい」と思って辞めたんです。
上田 今では、大企業を辞めて起業する若者は多いですよ。
西川 僕の場合は、人生に敷かれたレールを一回ぶち壊して、地べたまで落ちたいと、変なことを考えました。起業という選択肢はなかった。これまでの自分が一切通用しない外国で働けば、何かが見えると思って、ひと夏ノルウェーのオスロで日本の観光客の世話をするバイトをしました。帰国して「何をやろうか」と考えたけれど、やっぱりわからない(笑)。
上田 仕事を辞める衝動を持つ若者は多いけれど、本当に辞める人は少ない。困ったでしょう。
西川 たまたま大学時代の友人がコンサルティング会社のマッキンゼーにいて、「仕事が面白い」と教えてくれました。それで外資系のコンサルティング会社を軒並み受けたのですが「変なことをやっていた人はダメ」とほとんど落ちた。ところが一社だけ拾ってくれたところが、アメリカの「アーサー・D・リトル」でした。
上田 そこでの経験は、後の起業に役立ちましたか。
西川 コンサルティングは、僕にモラトリアム(猶予)を与えてくれる職業でした。いろいろな業界のさまざまな課題に、半年ごとに注文を受けて取り組む。なんとかお客さんを満足させますが、「本当にこれでいいの?」「自分は何者なの?」という疑問がつきまとって、自分のやりたい仕事を探したくなってきました。
コンサルタントから遅咲きの起業
上田 それで起業を目指すわけですね。
西川 ええ。けれども日本では思いつかなかった。アーサー・D・リトルの本社はアメリカにあって、そこで働いて起業願望が確かなものになりました。アメリカではコンサルタントを辞めて起業する人がたくさんいました。僕には「起業する」という考えが新鮮でしたし、「モラトリアム人生」を終わらせたくなったのです。
上田 最初からインターネットに注目したのですか。
西川 いいえ。テーマがなかなか見つからない。悶々としていたら、転職の話がまとまり、その後にインターネット接続やパソコン通信で有名なAOLが日本法人を設立するという話があって、一九九六年に参加したのです。「起業テーマはこのあたりかな」と考えましたね。
上田 今は日本のネット企業もいろいろありますが、当時はすべてアメリカが進んでいましたよね。
西川 そうそう。AOLにいるとアメリカでのネットベンチャーの成功例の情報がいち早く入ってくる。ものすごいうねりにワクワクしたんです。九七年は山一證券が倒産し、日本経済がどん底で大変な年でした。でも僕は「一生に一度の大チャンスがきた」と確信して、創業準備に入った。それで九七年一〇月二四日、僕の誕生日に辞表を出して、翌年の九八年二月にネットエイジ(現ネットエイジグループ)を創業したのです。
上田 誕生日に辞めた。そのときは何歳だったのてすか。
西川 辞表を提出したときが四一歳。今は二〇~三〇歳代の起業家がたくさんいますので、遅咲きです。とはいえ「食うだけだったらなんとでもなる」という楽観主義があって悲壮感はなかったですね。インターネットは、ビジネスモデルを根底から覆す可能性を秘めていました。コンサルタントとしてはワクワクする。「のほほん」としている人や業界をたくさん見ましたが、インターネットという道具を使いこなすと、勝てるという発想がわいてきたんです。
起業には頭と行動が必要だ
上田 「遅咲き」かなぁ。ただ、それまでのものを捨てる勇気に感銘を受けますよ。
西川 九〇年代末ぐらいまで、サラリーマンを辞めると「脱サラ」と言われ、前向きのイメージが全然ありませんでしたね。
上田 確かに「ベンチャー三銃士」なんで言われたパソナの南部靖之さん、ソフトバンクの孫正義さん、エイチ・アイ・エスの津田秀雄さんは称えられましたけれど、彼らは「脱サラ」じゃない。はじめから創業者ですからね。どちらかというと突っ走るという経営者ばかり(笑)。サラリーマンらしさがない。
西川 僕だって、突っ走るだけですよ。コンサルタント出身の起業家も増えています。ネットビジネスはほかのビジネスよりも参入しやすく、ビジネスモデルの工夫である程度勝負できる環境にあるためでしょうね。ただ、頭だけではなく、気持ちも大切かな。
上田 でも実際に起業したら、苦労があったでしょう。
西川 九八年二月に資本金一五〇〇万円でスタートしました。銀行からおカネを借りられなかったので、毎月おカネが減って、一〇月には残金一〇〇万円ぐらい。「年越せるかなぁ」みたいな感じでしたよ。あのときの資金繰りが一番の綱渡りですね。
上田 危機を抜け出せたきっかけはあったのですか。
西川 今、ネットエイジグループの代表取締役をしている盟友の小池聡が、五〇〇万円を出資してくれたんです。そしてヤフーから自動車情報を扱うポータルサイト「Yahoo!自動車」を運営するという大きな仕事を受注できた。そうした人の縁と運がなかったら、今はなかったですね。
上田 運も起業家には必要です。
西川 ええ、僕は幸運でした。タイミングでも「ネットバブル」と呼ばれた時期の前に創業できたことが大きかった。それとネットビジネスが認知されていなかったころ、メールマガジンを書き始めたら大きな反響があって、そこから起業家の集まり「ビットバレー」も生まれました。こうしたことが重なったのです。
上田 それで、ネットエイジグループや西川社長の提唱した「ビットバレー」に、人が集まり「梁山泊」(中国の物語『水滸伝』で豪傑たちが集まった場所)状態になったわけですね。あの頃はインターネット自体が夜明け前」の状態なのに、熱気がすごかった。「ビットバレー」に来た後で活躍した人は多いし、ネットエイジグループに勤めた後に起業する人も多かったでしょう。
西川 そうですね。なつかしく思い出します。「夜明け前」なのに、株式市場が期待先行でものすごい値をつけた。当時上場した楽天は、市場からの調達金額が約五〇〇億円。信じられない金額です。九九年末から二〇〇〇年春までの半年間だけに起こった一〇〇年に一回の現象でしょうね。そしてその夏から株価が暴落。多くの人は「ネットバブル崩壊」と言いますが、あれは「株バブル崩壊」。ネットビジネス自体が崩壊したわけじやない。僕は「いずれ夜が明ける」と思っていました。
上田 その見通しは当たった。
西川 はい。きっかけは〇一年に高速回線の「Yahoo!BB」が登場して通信の価格破壊が始まったこと。みんな家庭に高速回線を引けるようになって、本当に夜が明けてきた。
好き嫌いが人選びの基準です
上田 西川さんは、「来る者は拒まず」というタイプですか。
西川 そんなことはない。けっこう、人を見ますよ。
上田 人と会ったときには、どの点を気にかけられますか。
西川 非論理的ですが「なんとなく、その人が好きになれそうか」ということです。論理的に説明できませんね。恋人と一緒ですよ。理屈じゃない。
上田 あえて論理的に説明してほしいんですけれど(笑)。
西川 難しいな(笑)。「金儲けのために仕事する」というのはダメ。自分のやりたいことが、世の中のためになるという希望を持って、本当にワクワクして目を輝かせて「やりたくてしょうがない」という情熱をひしひしと感じさせる人。楽観的なエネルギーを感じさせる人です。
上田 楽観的でないと、起業は難しいのですか。
西川 そうでしょうね。情熱がなかったり、楽観的でなかったりしたら、その人の周りに人は集まらないんじやないかな。ただ、一見暗いけれど大成功する人もいっぱいいますよ(笑)。だけど僕は明るい人と組みたいですね。
投資基準は「乱射」です?
上田 ネットエイジは、ベンチャー投資もしています。投資先を選ぶ場合もそうした明るい人を探そうとするのでしょうか。
西川 似ています。まずは経営者本人の魅力を見ます。えもいわれぬオーラみたいなものを放つ、人間的な魅力ですね。二番目は、やろうとしているビジネスの魅力です。ビジネスモデルが追随型じゃなくて独自性があり、「なるほどうまいことやるな」というところを見る。三番目は狙う市場の魅力です。とはいうものの、市場の魅力よりも僕自身が理解できるかどうかが重要です。まったくわからない市場だと「やめとこうかな」という感じです。ただ僕は、基本的に出したがり屋なんです。
上田 それはどうしてですか。
西川 何かの縁で、僕の前に来たわけじゃないですか。それで出さなかったら「何事もなし」で終わる。それはつまらないですよ。
上田 プロの投資家からすると珍しい。
西川 いや、「あってはいけない行動」でしょう。ただインターネットでは、あのとき一〇〇年に一度のビジネスの可能性がバーッと開けた。「暗闇で乱射」するような行動は、あの数年間に関しては許された。何でもいいから張る。その中で信じられないことが起こる。例えば、九月に上場して時価総額が一時約二二二〇億円になったミクシィに投資したんですが、起業のときから知る人はあんなことになるなんて誰も思っていません(笑)。
上田 やっぱりそうですか。
西川 最近は、さすがにそういう張り方はしていません。投資家への説明責任もありますしね。ただ、そうした「乱射」は結果としてよかったですよ。ネットバブル以降の投資では、慎重派は結局失敗してしまいましたから。
上田 ビジネスはわからない。そうしたことを改めて確認できる話です。ただ、何でも出すというわけではないでしょう。
「ネットバブル崩壊」は「株バブル崩壊」でした。ビジネスは崩壊していない。「いずれ夜が明ける」と思っていました。
西川 ネットバブルの前後は、昨日まで外資系証券会社にいたような人が急に起業家になって、「二年で株式公開する」なんて言ったりして、浮ついた雰囲気がありましたね。そうした「上場屋さん」や、それをサポートする人たちには遠慮いただいたんです。志がなくてはね。
起業家を生むユニークな会社
上田 西川さんは、「起業家経済」という言葉をよく使います。印象的な言葉ですが、どんな意味を込めているのですか。
西川 現在のビジネスの構成だけでは、経済は、永遠にはもちません。新陳代謝を促さなくてはね。逆に言えば、古いものは外に出して、上場企業は常に入れ替わるべき。新しさを送り込むのは起業家。そうした人は常に世の中に一定数必要です。国の一翼をそういう人たちが担うべきと思って、「起業家経済」という言葉を使います。
上田 それは大賛成です。
西川 当たり前のことを言っているだけですけど、いまひとつ理解されない。親会社が大企業という上場企業は全然面白くない。まったくのゼロからフレッシュで新しいコンセプトを生み出した企業が上場すべきです。
古いものは外に出て、上場企業は常に入れ替わるべき。新しさを送り込むのは起業家。世の中に一定数必要です。
上田 ネットエイジの社内でも、「起業家経済」的な新陳代謝という考え方が貫かれるんでしょうか。
西川 人間のパワーが一〇〇%出るのは、自分がやりたいことをやるときだと思う。起業はしんどいけれども、それが好きな人には楽しい職業です。僕はこの会社を、起業家を生み出す場にしたいんですよ。僕も成長の途中ですが、失敗や成功の経験を伝えることで、起業にあるリスクを多少なりともコントロールできるし、シナジーを与えられる。まったくゼロからやるよりも絶対に有利です。もちろん会社は利益を出しますが、人を育成することも目的にしたい。ただ手取り足取り教えるわけじゃない。場を作って、その中で一緒に集まってきた連中とワイワイやるうちに、体得する感じの会社にしたいんです。
成長企業とポストの関係
上田 だから「梁山泊」になるわけだ。けれども組織では、人を評価することも必要でしょう。
西川 あまり得意じゃないんですよ。人が人を適切に評価することってできるのかなぁ。人が人を裁くことと同じぐらい難しいような気がします。僕自身、長いサラリーマン時代で評価を上司から受けましたが、ちっとも納得できなかった。尊敬していない上司から何を言われても気にしませんでしたけれど(笑)。
上田 わかるなぁ(笑)。
西川 一応、管理職が部下を評価する仕組みはあります。「チャレンジ精神がどうだ」とかをABCで評価しますが、それはその人の本当の姿ではないと思う。
上田 人事での基準は何ですか。
西川 年齢は関係ない。「これは」という人を若くして取締役にした例はあります。「ポジションを引き上げるとやってくれそうだな」という期待も込めてポストをお願いする。僕たちは成長中なので、そういったポストはいくらでもある。それぞれ目線がひとつ高くなったポジションで、毎年仕事をする状況です。過去の経験もそれほど重視しない。僕みたいにどん底まで落ちたのでもいい。ピカピカの経歴がいいとは思っていません。
上田 熱意と動機であると。
西川 そうです。なぜネットエイジグループで働きたいのか。そして「何ができるの?」というポテンシャルを含めた能力の問題です。「やる気だけはあります」という人を採用するときもある。ただ最初の給料は安いですが。
上田 では、人を活用するポイントは何だと思いますか。
西川 本人が情熱を込めてやりたいと思うことをできるような、体制や組織を作ることであると思います。ただ全員が全員、自分のやりたいことをやれるということはあり得ない。だから、多少の妥協や調整は必要ですが、極力そういう環境を実現するように努力していくことでしょうね。ネットビジネスという変化の激しい分野にいるので、新しいことがやりやすい環境にあります。成熟産業だと、実現させるのは難しいと思います。
上田 鉄道のJRグループがそういうことをやるのは難しいはず。ダイヤが毎日乱れますから(笑)。
西川 そうそう。だから僕らの業界は恵まれているんです。自分のやりたいことをやるという余地が非常に大きいから。
上田 好きだとか、得意だとかいうことでないと、最大の力と創造性は生み出せない。そういう場を作る経営は強みがあると思うな。
西川 やりたいことをやれば、働くことは苦にならない。「苦役」というイメージとは違う「楽しみ」というところに少しでも近づけたい。当社のモットーのひとつは、「仕事を好きになろう。好きになるための工夫をしよう」ということです。
上田 ほかにも「永遠の青春を確保し、幸せになろう」というモットーがある。西川さんらしい(笑)。
西川 そうですか(笑)、照れるなぁ。「永遠の青春」なんてこの年で言っているんだから。