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株式会社フェイス 平澤創

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「雇う」という言葉はキライです

上田 今回は音楽をビジネスの力で私たちの身近なものにした、フェイスの平澤創社長に登場していただきました。携帯電話の「着メロ」を生み出して世界に送り出した人です。これだけ大きなことをしたのに、まだ三九歳という若さ。きっと面日い「人活術」が聞けると思います。

平澤 「人活」というテーマでいうと、いつも気になる言葉があるんです。私は「雇う」という言葉に、ものすごく抵抗がある。

上田 ほう、それはどういうことでしょうか。

平澤 「雇う」という言葉を使うと、雇う人と、雇われる人に圧倒的な上下関係が生まれる。そういうのはキライなんです。

上田 会社は個人の同志的な関係であってほしいというわけですね。

平澤 そうです。社会的な問題を起こす会社がありますよね。観察すると、間題を起こした社員や役員を能カだけに注目して外から引っ張ってきたケースが多いですよ。それで、創業者と意識が違ってしまぅ。ウチでは、役員や幹部の一部に仲間感覚が残っている。間題が起きたときや業績のアップダウンが激しかった時期であっても利害関係なく仕事ができたんです。

上田 創業当初の"同志的"関係がいいというわけですね。

平澤 その関係を忘れたくないですよ。つい先日、八年間勤めた社員が辞めたんです。率直な感想を言うと、すごく悲しかった。共有できたものがあるから、ずっと一緒に働いたわけですよね。そして、会社の小さかった時代を知っている。いなくなるのは、自分の一部が欠けるような思いがした。会社に新しく人った人がダメと言っているわけではないですけれどね。

上田 わかりますよ。私もパソナが大きくなったときの連帯感を楽しく思い出しますから。今でも人をそうして集めるんですか。

平澤 残念ですが"同志的"な感覚で人を集めるのは難しくなりました。能力で人を選ぶことが多くなっています。ウチの会社では、グループ全体で全体で約五〇〇人の社員がいます。もう私一人ですべてを見ることはできない。でも可能な限り、社員と会って、物事を決めていきたい。

私は仕事を「任せまくる」

上田 とすると、平澤社長の人活術は「人を使う」というイメージではないですね。「人と一緒に」ですね。自立した個人と会社が一対一で結びつく。仕事も一人ではしない。

平澤 そういうことですね。私は「任せまくる」ことをします。創業した経営者をみると、たいてい仕事を他人に任せられない。「私は任せる」と言っているのに任せていない(笑)。

上田 そうそう(笑)。ただ「任せまくる」というマネジメントをすると、平澤さんの考えを伝えるのは大変ではないですか。

平澤 難しいので悩んでいます。ウチの会社は海外にも進出しているでしょう。日本でも子会社が増えている。そうした会社に口を出さないようにしています。本当は出したいんですけれど(笑)。私が頻繁に指示を出したら、そのこ社員は「この社長は本当にボスか?」と思うでしょうからね。

上田 支店長と思われる(笑)。

平澤 そうです。困りますよね。社長には自分のプランでやってほしい。

上田 人を採用するときも独立心のある人を選ぶんですか。

平澤 そうですけれども、会社が大きくなると、難しくなってきます。やはりおとなしい、協調性のある人を他の人は採用したがる。そういう人もいいんですけれど「とんがった」人も、いていいと思う。

会社の"DNA"は決められない?

上田 「組織には核が必要だ」という意見がありますよね。"創業の理念"とか"組織のDNA"と言われるものです。フェイスの場合はどうなんでしょうか。

平澤 その間題をずっと考えているんですが、最近結論にたどり着いたのです。一つの価値観、それに基づくモチベーション(動機)だけで、会社という組織を作るのは難しいと今では考えています。二〇世紀型の企業では、そうした「企業理念」でまとめることができたかもしれませんがね。

上田 面白い意見ですね。

平澤 もちろんフェイスにも理念はあります。社名の通り「信頼」を基盤にしたい。「コンテンツを流通させる」というビジネスの形も変わらない。けれども、それで会社のすべては決まらない。

上田 具体的には、どのような会社になるイメージがあるんですか。

平澤 イギリスに「ヴァージン・グループ」という企業体があります。「Virgin」という「スマートさ」を感じるブランドを共有し、力リスマ性のあるリチャード・ブランソンという卜ップが率いています。けれどもその内容は、航空会社、小売業、CD販売や音楽制作、コーラの製造販売、モバイル事業などいろいろ。こんな感じの会社が増えるんじゃないかな。フェイスもそうなるかもしれない。

上田 航空会社とコーラを一つの会社がやるなんてこれまでの感覚では、ありえませんよ。

平澤 ヴァージンを観察すると常識ではとらえられない面白さがあります。そしてヴァージンのビジネスには、意外な相乗効果がある。

上田 とすると、「二〇世紀型の企業」とは何でしょう。

平澤 そうした会社は「いい商品」を提供した。当時のいい商品とは「高機能」「低価格」「高品質」という特徴を持ち、大量生産されたものです。けれども、それって、今では当たり前のことですよね。それだけでは、モノは売れないんです。
一方、ウチは形のないモノを売っている。もちろん既存の「モノ作り」の企業や先人の偉大な経営者は尊敬します。けれども、同じ土俵に立つ必要はないですよ。

ローカライズのうまさがグローバル化だ

上田 フェイスは海外にも進出しています。こうした発想を持つ平澤社長が「日本式経営」を押し付けることはなさそうだ。

平澤 これも「任せまくり」ですね。アメリ力に二社、そしてフランスとブラジルに一社ずつ現地法人があります。どの会社でも、その国の人が社長です。大きな事業目標はありますけど、細かいことに私はかかわりません。流行している「グローバル化」という言葉は、どうも日本を中心に考えている響きがある。世界に打って出るにはローカライズ(地域化)をまず考える必要があります。

上田 海外でのビジネスのスタイルはどうなんでしょう。

平澤 日本でやってきたことを全部渡し、応援だけします。その使い方は「現地で考えて」とする。例えば私がアメリカに行って「着メロをアメリカ人はこうして使うはすだ」と言っても、説得力は皆無でしょう(笑)。現地の人が知っています。
アメリカでの「着メ口」の売り方は、日本人から見ると「変」でした。販促キャラクターも私たちから見るとカッコ悪い。「モッドトーンズ」というサービス名もダサい(笑)。でも任せたら売れたのです。

上田 現地法人の人材が素晴らしいのじゃないですか。人選びのポイントは何でしょう。

平澤 一番重要なのは「目の力」です。これは日本でも同じ。人選びでは、たいてい最後には甲乙つけがたい人が数人残ります。そこからは理屈じゃない。目線に力があり、仕事に誠実さを感じる人を選ぶ。

上田 やはり、じっくりと相手を見るんですね。

平澤 ブラジルでは現地の会社を買収しました。そのときに、ブラジルからその会社の経営陣を日本に招待した。私の家に呼んで、食事と話をしながら「マツケンサンバ」を一緒に踊った(笑)。

上田 アッハッハ。そこまでやれば、どんな人かわかるでしょう。

平澤 わかりますよ(笑)。そのとき別の日本企業と、そのブラジルの会社の買収を競っていたんです。その日本企業のほうが高い買収額を提示していました。けれども、ブラジルの経営陣はフェイスを選んでくれた。「一緒にやろう」「われわれと組んで強いグループを作ろう」と考えを話したんです。「敵対的買収はうまくいった試しがない」とよく言われますが、その通りだなと思います。

上田 平澤社長がローカライズを重視する意味がわかってきました。

平澤 その代わり、私は「日本」では、このビジネスをうまく行う自信がある。だからやってるんです。

上田 人材活用もうまそうだな。

平澤 実はダメな点はいっぱいあるんですよ。例えぱ、私は今、会社で怖がられている。任せるために、距離を置こうと思って意図的に厳しくしたら、そういうふうに思われた(笑)。反省しています。

上田 それは意外ですね。けれども、理由があって厳しいんでしよう。

平澤 私が厳しいのは期日の約束なんですよ。社会人としての一般常識でしょう。報告をすればいいのですが、たいていしない。それで、問題が紛糾すると怒りますね。遅れることは、問題が生じていること。そして、それを言わないのはもう最悪です。逆に大失敗は怒らない。

上田 へぇ。何でですか。

平澤 大失敗は本人が一番ショックを感じているはず。その上で、ショックを受けている本人に向かって、さらに怒っても仕万がありません。本人が気付いてないような失敗は些細なことでも怒りますね。

上田 社内の人間を「育てる」ということは考えていますか。

平澤 あまり考えません。ほっといても「できる人」は育ちますから(笑)。人間の成長は、何を見て、何を感じるかという個人の資質次第だと思うのです。ウチの会社はすごい勢いで成長しました。多くの「感じること」があるし、チャンスもある会社です。素晴らしい教材が目の前にあるのに「ボー」として何も得るところがなければ、その人はかわいそうですよ。

上田 チャンスは与える方ですか。

平澤 私はチャレンジして失敗するのは大歓迎です。要求を一〇〇%クリアしても「当然かな」と思う。「この人ならできる」と事前に考えてから仕事を渡しますから。自分で余計にすること、つまりクリエイティビティ(創造性)の部分で、人は評価されると考えます。

音楽家出身の異色の経歴

上田 なるほど。では逆に平澤社長の人活術の強みは何でしょうか。

平澤 「任せる」ことですね。私は音楽の世界にいました。例えば音楽プロデューサーはテーマを決める。そして作曲家、作詞家、ミュージシャン、編曲者、ボーカリストを集め、営業面も考慮しながらコーディネートする。そうやって、一つの「売れる」作品を作り上げる。これば経営と似ています。

上田 人材活用で何を大切にしていますか。

平澤 一番重要なのはバランス感覚ですね。エネルギーを一つにまとめるには、目配りが必要です。そういった感覚でたくさんの人のエネルギーをまとめる。これは音楽プロデューサーの仕事と似ています。私は経営をプロデュースすることは、好きですよ。

社員を育てることは考えません 優秀な人は勝手に育ちますから

上田 平澤社長の経歴もユニークですね。音楽と会社員の経験があって教員免許も持つ。それが社長業に影響を与えている。

平澤 そうかもしれません。私の母方は教育者で、幼稚園を経営していました。父親の家系が典型的な大阪商人。父方の親戚と話すと「これなんぼ?」って話にすぐなる(笑)。そして母親の影響で小さいころからピアノを習っていました。

上田 以前から起業を考えていたのですか。

平澤 いいえ。国立大学の理系志望で、将来は音響関係のエンジニアになろうと思っていた。ところが受験のときに、やっていたバンドがオーディションに受かった。だったら、音楽の道に進もうかと音大を選んだのです。バンドはメンバー同士の「音楽性の不一致」が起こって解散。そうしたら、東京の音楽事務所から声がかかって、プロデュースの仕事をしないかと誘われた。

上田 音楽の道に進まなかったのですか。

平澤 けれども、このあと音楽で飯が食えるのかなと悩んだ。すると、「音楽枠」採用があった任天堂に入社できたんです。

上田 八〇年代後半は、「スーパーファミコン」がヒットしていましたよね。入社をみんな喜んだでしょう。

平澤 大ヒットしていた「スーパーマリオブラザーズ」を開発する部署にいました。けれどもサラリーマン生活が苦痛で苦痛で。多分、高校時代の希望だったエンジニアになっていたら、ストレスで早死にしたと思う(笑)。そしたら、入ろうとしていた音楽事務所がヒットを連発した。新入りでごみ捨て当番だった私はさらにガクっとなった(笑)。

上田 起業のきっかけは何だったんですか。

平澤 会社員生活からの現実逃避だけで辞めたのではありません。当時はソフトとハードという言葉が一般化しつつありました。コンポなどの音響機器を「ハード」、レコードやCDを「ソフト」と呼んでいました。私はそれを疑問に思った。CDはモノですよね。その売買は在庫リスクを伴うわけです。それで音楽というソフトの商売を考えた。「音楽をデータだけで売るビジネスができないかな」と思ったんです。

やっていることはずっと同じです

上田 今やっていることと同じではないですか。

平澤 実はウチは創業時から同じことをしています。情報を伝達する手段が変わっただけ。音楽をはじめとするコンテンツの流通を手がけているんです。これを任天堂の同期入社組で今はウチの専務をしている中西(中西正人氏)に話したところ「面白い」となったのです。

上田 今でも中西さんは「社長の右腕」ですよね。

平澤 中西は任天堂でゲームのライセンスを担当する部署にいました。ビジネスはパッション(情熱)と私は考える。中西はビジネスをロジッ(論理)と考える。お互いが欠けたところを補える関係なんですよ。南部靖之さん(パソナグループ代表)と上田さんもそうでしたか。

上田 南部さんのパッションはそうですけど、私はロジック派ではないですよ(笑)。

平澤 チームの中で「誰がブレーキ踏むねん」と考えることは必要です。このコンビでうまくいきましたね。

上田 起業後に苦労したでしょう。

平澤 一般的に言うと苦労かもしれないですけど、今振り返ると面白さばかり感じました。

上田 創業資金は?

平澤 自分の貯金です。六〇〇万円を私が出した。残り四〇〇万円のうち、中西は一〇万円足りなくて、大事にしていたロレックスの腕時計を売って、現金を作った(笑)。

上田 それは、もうお父さんのDNAかな(笑)。音楽系の人っておカネを貯めないですからね。そうして時代の変化に応じて、ビジネスが成長していったのですね。

儲かる仕組み作りをして提携企業が断る理由をなくすとビジネスは有利になる

平澤 奇跡的に時代の流れにうまく乗れたと思います。初めはフロッピーディスクに音楽を入れて売りました。その次がパソコン通信です。最盛期には一〇〇万人程度の市場。その次がネットによる音楽やカラオケのデータ配信です。九〇年代半ばごろには数百万人が使っていたのかな。そして携帯電話の着メロに結びつく。その数は日本で現在約九〇〇万台です。一つのビジネスで、著作権や音楽の選定、開発のノウハウが蓄積される。次のビジネスで応用する。こういうことが続いたんです。

相手に断る理由をなくすのがビジネス

上田 けれども、時代に乗っただけではなくて、儲かる理由があったわけでしょう。

平澤 ビジネスをするときに、商談相手が断る理由をいかになくすか。これがポイントだと思います。パソコン通信の時代の話です。私たちが何千曲も音楽を揃えるのは大変でした。どうしたかといったら、データを持つ音楽会社に行って、彼らに「音楽を預けてくれたらパソコン通信で販売しますよ」と言った。ウチは投資リスクなしでデータを手にする。在庫リスクもゼロ。音楽会社にとっては、データを預けるだけでおカネが入ってくる。「Win-Win」という言葉がはやっていますが、本当にそういう仕組みを作ると、必ずビジネスになる。着メロもそうですよ。

上田 どんなことがあったんですか。

平澤 携帯電話が普及した九〇年代の終わりごろ、「着メロ歌本」ってあったの覚えていますか。曲が掲載されていて、本の通りに数字を人力して再生すると、着信のメロディになる。当時はまだ単音です。面白そうだなと思って調べたら、二〇万部以上出ていた本もあった。これはいけると思ったんです。携帯の機種ごとに形式が違った。だから、一つのフォーマット(型)を決めて、携帯電話に再生する仕組みを作った。

上田 ありましたね。当時、NTTドコモのiモードが立ち上がって、情報のやり取りが双方向になった。

平澤 そこでキャリア(携帯電話会社)に提案したのです。「着メロで儲かる方法がありますよ」と。私たちは決して技術の売り込みに行きません。「こんなにいい技術がありますよ」と言った場合には、売り込み先から「いくら?」とか「あの技術とどこが違うの?」と必ず言われます。そうして値段を叩かれる。一方、私たちはビジネスモデル、すなわち「儲け話」を持っていったのです。

人活の秘訣は「放牧」?

上田 フェイスの今後はどうなるのでしょうか。

平澤 携帯電話は一年先以降の技術が劇的に変わる。だから経営者として私は三年後の姿を描ききれない。わかるといったらうそになる。

上田 そうなんですか。

平澤 それを前提に話すと、また変身しようと思っています。私たちは創業から「突っ走った」感じがある。今後は落ち着いて、物事を組み立てたいですね。今では私たちの会社のサービスを使って、誰もが着メロを楽しんでいる。けれども「フェイス」の名を知っている人は少ないですよ。この姿を変えたい。今後は音楽を軸にした文化事業などいろいろなビジネスを行うことを考えています。最近ゲームや医療情報の提供を始めましたが、未来への布石なんですね。

上田 そのために何をしているのですか。

平澤 私は毎日誰かと飲んでいるか、食事をしています(笑)。異業種で商売とは関係ない人とですよ。商売のネタを探しに。

上田 なるほど。世の中の新しいビジネスは、そういう異業種の人との情報の交換からできるからですね。

平澤 そうそう。新しい商売とは、別の接点を持つ人の間でしか生まれない。私たちの会社は「音楽」と電話会社をくっつけたわけですよね。一〇年前は考えられないでしょう。

上田 フェイスの変化を楽しみにしていますよ。まとめると、平澤社長の人活の秘訣は何でしょうか。

平澤 「放牧」かな。囲いだけ作って、あとは好き勝手をしてくれと。ただ、そんな言い方は社員に失礼ですね。だから「自由放任」という言葉に直します(笑)。創造的なことは束縛のないところからしか、生まれないと思っていますから。

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