東日本大震災の被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申しあげますと
共に今、自分に出来ることから支援を行ってまいります。
『一緒に頑張りましょう』
気仙沼にいる親友からメールを頂いた。
電力が不足している中で安否を知らせてくれたメール。
不安の中にいる親友が私のことまでも配慮した内容。
平素はメール確認時、直ぐに返信することを心がけている。
ましてや、大変な状況の中にある親友から送付されたメール。
親友の安否確認のため、テレビやネットで情報を一日中みていた。
無事であることが何より嬉しいと伝えたい。
そして、今、親友に親友に伝えたい言葉。
しかし、このメールに対し直ぐに返信が出来なかった。
私も募金や物品の送付等々の直接的な支援だけではなく、
今の仕事を通じて少しでも経済の回復のために尽力すること等、
間接的な支援へと繋がることも今現在精一杯努めているつもり。
しかし、避難所で必死に頑張っている親友からの
“一緒に”という表現に対し、
私はどのような返信をすればよいのだろうか。
今、私は彼らに恥ずかしくない行動が出来ているのだろうか。
仕事を通じてといっても・・震災前と震災後で何か変わったのか。
今、私は貢献できているのか。
そんな折、知人から自らの妹の話を聞いた。彼の妹は気仙沼で看護師を
しているそう。24時間体制で仕事に従事しているため、営業を再開した
店舗の行列に並ぶことが出来ないそうだ。
彼は、妹に対して自分が出来ることをがむしゃらにやってるとのこと。
何とか日用品を送付する、妹の体調の無事を祈る、今の仕事を頑張る。
がむしゃらにやること・・・。
考えるより先に前に進めなければならないこともあると思う。
そもそも考えると言う行為が出来ること自体恵まれている。
私も今出来ることをがむしゃらになって頑張りたい。
親友との再会の際、恥ずかしくないように。













